CIROMBO MARINA 江戸隆裕さん 【転職者インタビュー】

株式会社RYコーポレーション CIROMBO MARINA 料理長 江戸隆裕さん(37)

料理に対して神髄に向き合っている江戸さん。現在はCIROMBO MARINA 上野店で働いています。どういった経緯で「CIROMBO MARINA」で働くようになったのか、またこれまでの経験をどう仕事に生かしているのかのお話を聞いてきました。

どんな学生生活を送られていましたか?

僕が子どもの頃は、ちょうどアニメの影響もあってバスケの人気が高かった時代です。中高ともにバスケ部に所属して、夢中になっていました。僕は長野県出身なのですが、中学校の頃は県で優勝するほどの強豪校で、バスケ部員だけでも100人を超えるほどの人数がいて、それだけの人たちと同じ目標を持って頑張っているというのもとても楽しかったですね。高校の時も、1つ上の世代が強くインターハイに行ったりもしました。

ただ僕は、強豪メンバーの中で突出するほどの実力はなかったので、スタメンにはなれませんでしたが、それでもそういった空気感の中にいられたことはとてもいい経験だったと思います。本物の空気感というのは、強豪チームの中でしか味わえないと思うからです。

こういった話をすると、バスケが好きだったからバスケの強い高校を選んで行ったのかと思われるのですが、それはまた別の話なんです。

実は中学の時に、運命的な出会いをしています。
たまたま入った洋食屋さんがあったのですが、そこはオープンキッチンになっていて、席に座っている時にシェフの姿が見えるようなタイプのお店でした。そこで働いているシェフの後姿が、とにかくカッコよく見えて…。

当時は、そのシェフに話しかけることはできなかったので、一方的に憧れていただけなんですけど、でもその人がいたから僕は料理人になろうとその時決めたんです。

料理系の専門学校では和食、中華、洋食の3種類を学べるところが多いんですが、静岡県の浜松市にある調理の専門学校は、和食、中華、洋食とイタリア料理を学べることを知って、そこに通いたいと思いました。ただそのためには高校での卒業というのが必須だったので、家の近くにある近所の高校を受験したというわけです。

料理人になると決めてから、すぐにこちらの会社と出会ったのでしょうか?

出会いは早いですが、すぐに弊社に入社したわけではないですね。

高校を卒業した後は、行きたいと思っていた専門学校に通い和食、中華、洋食とイタリア料理を学びながら、卒業したらイタリア料理を作れるところに入社しようと決めました。卒業の年になると、東京のお店での入社が決まったので、卒業前に上京して家の準備をしていたのですが、お店側に問題が起こり入社できなくなってしまったんです。

どうしようかと思いながら1か月を過ごした後、専門学校の卒業式だったため、再び静岡へ。そこで、担任の先生が「まだ就職先が決まっていないなら、東京にあるこの店に連絡してみろ」とイタリア料理のお店を進めてくれました。

この頃には、とにかく就職をしなければと思っていたので、どんな会社なのかも調べずにとにかく面接を受け、配属先もどこがいいかを聞かれたのですが「どこでもいいです」と答えました。同期入社は30人で、大きい会社だったのですが、僕が配属されたのは六本木にあるミラノで2つ星のお店だったんです。運がよかったとしか言えません。

このお店の料理長はイタリア人で、イタリア語しか話せない方だったので、僕は勉強をしたり、周りの日本人の先輩に聞いたりしながらなんとか言葉も覚えていきました。

この時の僕は、専門学校を卒業したばかりなので20歳の時です。もし料理長が日本人だったら、おそらく料理なんてさせてもらえません。店の掃除や皿洗いなどを言いつけられて、毎日を過ごしていたと思います。ですが、イタリア人のシェフは日本の感覚とは違う人で、「お前は給料をもらっている。ということは、上がする仕事も、下がする仕事も全部できるようにならないといけない。全部がお前の仕事だ」と言われて、初めからパスタなども作らせてもらいました。

料理長の料理に対する気持ちが強く、料理も本当に美味しいし何でも知っている方です。その人の下で働けることが、すごく幸せでしたね。毎日が勉強です。もちろん、まだまだ知らないことが多いので、怒られて落ち込むこともありましたが、先輩たちと話をしていると、こんなことで負けないぞという気持ちになって、前向きになれました。

そして、このお店で僕は、弊社の取締役総料理長や料理長とも会っているんです。二人とも同じ店でシェフとして働いていて、よくしてくれる先輩でした。もちろんこの時は、将来また一緒に働くことになるとは思っていませんでしたが、この時の出会いが今の僕を作っていると思います。

今の会社に入られるまでの流れを教えていただけますか?

はい。最初の会社では結局2年働いてから転職をしました。イタリア料理店での仕事は、本当にためになることばかりだったのですが、コースで3万円するようなお店だったので厨房にいると、お客様の顔を見ることができないんです。そのことが気になっていたというのと、僕の料理の原点は、中学の時に見たオープンキッチンで働く洋食屋のシェフということもあって、洋食屋で一度働いてみたいと思ったのがきっかけでした。

銀座にあった洋食屋さんで雇ってもらえることになり、そこで基本的な洋食を一から勉強させてもらいましたね。ここでの勉強は、今でも意味のあるものになっています。今も、賄の時に作ったりして、みんなに喜んでもらえるのは嬉しいですよ。

それに洋食屋さんでは、僕がずっとしてみたかったこともできました。それは、料理を食べて美味しいと喜んでいるお客様の姿を間近で見るということです。料理を作ったり、ホールで料理を提供したりしていたので、お客様との距離の近さというのも新鮮でとても楽しかったですね。

ただ、2年ぐらい経ったときに、洋食の料理をすべて覚えてしまいました。そうなると洋食って、美味しいオムライスができたら美味しいオムライスを作り続けることしかできませんし、美味しいハンバーグができたら、美味しいハンバーグを作り続けることしかできないんです。それ以上の発展が見えなかった。

でもそれまで学んでいたイタリア料理には、ゴールと言うものがありませんでした。もちろんこれは、自分の感覚なのですが、洋食は型にはまった料理だけど、イタリア料理は形のない料理で日々新しいものが創られていくように感じたんです。

そんな時に、イタリア人シェフが別の店でシェフをしていて、最初の店でも、そのお店でも一緒に働いていた今の弊社の取締役総料理長に誘われたんです。これはチャンスだと思い、転職して彼の店で働くようになりました。同じシェフの下ですが、以前はミラノにいる料理長が作っていたものを日本で作っていたので、ミラノの料理長の作り方でしたが、今回は本人の料理の仕方で作っていたので、やり方が全く違っていて常に勉強になると感じていましたね。

そこで3年ほど料理を作っていたころ、今度は日本について考えるようになりました。イタリア人は毎日イタリア料理しか作らないけれど、日本人はパスタも中華も和食も何でも食べます。日本人でコックをするなら、一つのものしか作れないのはもったいないと感じるようになったんです。

これまでの自分を振り返ってみて、やってこなかったものって何だろうと考えるようになりました。その時に出てきたのがアジア料理です。

そこで、イタリア料理のお店を辞めて、タイ料理のお店で働くことになりました。タイ料理は全く未経験だったのですが、扱う食材は同じでも調味料が違い、最終的な味の持っていき方が違うだけで、料理というのはこんなにも変わるのかということを学びました。食材に対する違うアプローチの仕方があるというのを実体験で勉強できたのは、僕自身の料理人としての経験値としては大きいと思います。

それから2年が過ぎ、僕にも子どもが生まれたのですが、震災のあった2011年にその影響でタイ料理店の売り上げが落ち込み、その時に弊社の総料理長から銀座店をオープンさせるから「うちに来ないか」という電話がかかってきたんです。

2、3年で転職をされていますが、こちらの会社での仕事が続いている理由を教えてください

2011年の冬からここで仕事をしていますが、ずっと働いていたわけではないんですよ。ここでの仕事は本当に良かったのですが、5年前に1度辞めているんです。
その頃、32歳になっていて、年齢的にそろそろ誰かに仕事を教えてもらうというよりは、教える立場になってきていると感じていました。ですが、僕としてはまだまだ料理の勉強がしたいという気持ちがありました。そこで、社長に「絶対にまた戻ってくるので、1度外で勉強をさせてください」と直接言いに行ったんです。

それで転職をした先がイタリア料理のお店で、一番初めに入ったお店同様、ミラノに本店がある日本のお店です。このお店での時間もとても勉強になりました。以前までは、イタリア料理のお店では、クラシックを大事にする料理の仕方、モダンを大事にする料理の仕方と全く違う料理法を見てきましたが、ここのお店はその融合版です。クラシックな料理法の中に新しいものを取り入れていきます。さらに、使われるのはイタリアにある食材だけではなく日本の柚子胡椒や山椒などです。

転職するたびに、新しい料理法と出会えるのはとても幸せなことだと思います。僕自身、常に環境や料理法など、様々なものを変えて勉強し続けたいという欲求があったからです。

そのお店で学びながら仕事をしていましたが、去年の11月に弊社で神宮外苑前にて店舗をオープンするので戻って来いと言われ、再びこちらの会社に来たというわけです。神宮外苑前の店に入ってみると、僕が一番初めのイタリア料理のお店で出会ったシェフたちもいて、17年ぶりに先輩たちと再会し、会っていなかった間に進化した先輩料理人たちの腕を横で見ながら料理ができたので、本当に幸せでしたね。

料理に対して真摯に向き合ってきた江戸さんですが、今後の目標はありますか?

目標は二つあるんですが、一つ目は食材と食材の組み合わせで美味しい料理をこの先も作り続けたいというのがあります。食材の持っている味と料理法で変わる味の組み合わせでできる味というのにも興味があります。今までの経験を生かして、僕にしかできない料理を創り出していきたいですね。

もう一つの目標は、一緒に働いている斎藤副料理長に僕が持っている引き出しをすべて見せて、彼の引き出しを増やしていってもらいたいです。彼はまだ20代で、料理人になってから8年。ですが、とても感性が鋭くとがっているのが魅力的です。17年この世界にいる僕が知っていることをすべて伝えれば、彼はどんな風に化けるのか、それが楽しみなんですよ。

その若さで8年間の経験と僕の17年間の経験を合わせて、さらにすごいものを作ってくれるのではないかという期待があります。

では最後に、今回の求人にあたって一緒に働きたい方はどんな方ですか?

弊社は感動創造が会社の理念です。お客様はご飯を食べに来るときって、初めてのお店だと期待と不安を持っていると思うんです。でも、実際に来た時には本当に美味しいと思ってもらえるような料理を提供したいですし、提供をするホールもキッチンの人もフレンドリーに接しています。エンターテインメントを感じられるように、色々な方面で明るく元気に人を楽しませようというのが、弊社の特徴です。

あと、料理の経験はそこまで求めません。ですが、仕事をしていくうえで必要な知識は自分で勉強してほしいと思います。わからないことは、今のご時世ネットで調べればすぐにわかりますし、先輩に聞いてもいいと思います。勉強はしようと思えば、誰でもできることです。ただ経験は、料理の専門学校に通っていたり、料理人とのつてがあったりする人だけが詰めるという訳ではないと思うので、ここで働きながら積んでいけばいいと思います。

料理に対して前向きな姿勢の人と楽しく一緒に仕事をしていきたいと思います。

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